真面目に生きている方ほど、「真面目で損した!」と思いながら生活していることは間違いありません。
ネット上でも、様々なサイトで「真面目で損したこと」が語られています。
この記事では、「真面目で損した」場面をいくつか紹介します。きっと、経験がある方も多いでしょう。
いっそ明日から不真面目になろうと考えても、なかなかそれはできませんよね。この記事を読んで、少し鬱憤を晴らしていただければ幸いです。
責任や仕事を押し付けられる「だけ」
誰かから頼みごとをされても断れないタイプの真面目な人は、どんな場にも1人はいます。例えば会社で働いている方の中には、これに当てはまる方も多いのではないでしょうか。
いっそしっかりと断り、それについて何も感じないくらいの心の強さがあれば…とは思っていても、相手に嫌われたり、あるいは自分が嫌なヤツだと思われたりすることは避けたいのでつい引き受けてしまいがちなのが真面目な人です。
そして実際に頼まれた仕事を終わらせたり、責任者となって問題や面倒を引き受けたとしても、何も感謝はされません。
周りからは「引き受けてくれて当然」と思われているため、せいぜい一言軽く「ありがとう」と言われる程度。報われません。
学生の場合でも、宿題を忘れてきた人に毎週のように自分の宿題を見せていて、しかもテストではなぜかその相手のほうが順位が高かった!ということがあります。
自分のほうが真面目にやっているのになぜ…と、どんな環境でも「真面目」な人は思わされてしまいます。
嫌われることがなくても好かれることもない
嫌われないように親身に接しているつもりでも、とくにそれがプラスになることがないのが「真面目な人ほど損をする」系の人々です。
相手のピンチを手助けしたりしているうちに、いつの間にかただの「便利な人」というポジションに定着してしまっているため、なぜか同性・異性を問わずまったく好かれません。
真面目じゃない人たちが輪を作ってみんなで遊びにいく中、自分は一人で黙々と仕事をさせられる…これほどむなしいこともありません。
仕事一筋の人間だと思われてしまうと、恋愛もままなりません。そんなに真面目ではない同期が次々に結婚していく中、自分だけ取り残されているという人も多いでしょう。
失敗すると余計印象が悪くなる!
真面目な人の失敗は、不真面目な人の失敗よりも失点が大きい扱いとなります。「真面目な人ほど損をする」の、一番わかりやすい場面です。
例えば、いつも会社や学校に遅刻してくる人は、何回も遅刻しているうちに、徐々に誰もなんとも思わなくなります。
しかし、いつも定時にその場にいる人が遅れてきた場合は、1回だけで周りの人たちに「たるんでいる」と思われてしまいます。
この理不尽な状況を何とかするには、やはり「真面目」であることを捨て去るしかありません。しかし、そんなことができるならとっくにそうしていますよね。
頼みごとができない
一度「真面目な人」という印象を相手に与えてしまえば、仕事などで誰かに助けてもらおうとした際に、相手は不真面目な人から頼まれる以上の悪い印象を受けます。
実に腹立たしいことではありますが、「この人なら自分でできるはずなのになんで押し付けてくるんだろう」という印象を受けてしまうことも、厳しい現実ですが客観的に考えれば納得です。これもまた、「真面目で損した」と感じされられる場面ですね。
自分に厳しくなってしまう
何でも自分でやろうとしてしまうような真面目な人は、いつの間にか自分の自由な時間などを犠牲にしてまで「真面目」であろうとしてしまいます。
その結果精神や体力をどんどん消耗していってしまいますが、そこで休憩してしまったら周囲の目が厳しい、あるいは仕事は休まず真面目にやり遂げなければいけない、休憩している時間はないと思ってしまう。
そのためどんどんそのまま突き進んでいってしまい、最終的には破滅してしまう方も。
倒れてしまっては結局誰も得せず「損」するだけになってしまうので、この状況に陥っている方は一旦休んだほうがいいでしょう。
ことわざにも「真面目な人ほど損をする」というものがある
最後は、どちらかというと前向きな場面です。
「真面目な人ほど損をする」、「正直者がバカを見る」とはよく言いますよね。
古くから言われているということは、昔から真面目で失敗している人がたくさんいるということでもあります。
肩の力を抜いて少し真面目さを減らしたいとは思っていても、生き方を変えるのは難しいことですので、今後も真面目に生きて行かざるを得ないという方がほとんどでしょう。
しかし、「自分だけがこうなっているわけではない、昔から現在までたくさんの真面目で存している人がいる」と頭に入れておけば、孤立感が薄れて少し楽になれます。
真面目な方は、明日からも、真面目に生きていきましょう。報われることがなくても、「真面目に生きていて良かった!」と心から思えれば、それで十分です。