あなたは映画やドラマをみてホロリと涙を流してしまう経験はおありですか?
近年は泣ける映画やドラマが流行った周期もあり涙を誘うテーマが1シーズンに1つ程度の割合で巡ってきますが、うっかり泣きすぎたなぁなんて感じることもあるのではないでしょうか。
幼い頃に比べて涙もろくなっているように感じるのか、それとも生来泣き虫、涙もろい体質だったのか。
そもそも人の涙はなぜ出るのでしょう?少し詳しく勉強してゆきましょう。
涙が出るメカニズム
目が常に涙で覆われているのはご存知でしょうか。
実は目はむき出しの臓器の状態なので常に潤いを保ち水分で保護する必要性があります。
その水分が涙であり、目の乾燥を防ぐため人間は1分間に13~20回程度の瞬きをします。
瞬きによって涙を目全体にいきわたらせ、乾燥を防いでいるんですね。
目を頑固に開き続けていると乾燥を防ぐため涙は後から後からあふれ出て零れ落ちます。
乾燥とは別に刺激物にも弱くなっていますので、ちょっとしたゴミや、玉ねぎなどの刺激的なニオイなどでも涙は溢れて止まらなくなります。
これが涙の出るメカニズムです。
感情からあふれ出る涙の理由
外装的刺激以外、つまり乾きやゴミ、刺激物以外で人間が流す涙の理由は、実は今もなおなぜなのか分かってはいません。
私たちが理解しているのは感情の揺さぶりが大きくなったときに自分にはどうすることもなく流れてしまうと言うことだけです。
生物学者として有名なダーウィンの著書では「涙を流すのに理由はなく、ストレスが刺激になって涙が出る」「人の助けを求めるために涙が出る」と仮説されています。
ですがこれに生化学者であるフレイ博士は真っ向から異議を唱えています。
人間は理由の伴わない不要な器官を排除し進化していますし、ストレスが無くても自然と涙が溢れ、それは必ずしも人のいる場所ではないと全てにおいて否といえるケースが存在するからです。
では、なぜ涙は流れるのか。
フレイ博士は「有害な物質を体から排除するため」と呈しています。
この有害な者とは、ストレスや悲しみを指しますが、それでは感動の涙はどうなのかといえば、抱えきれないほどの喜びや感情が刺激を呼び開放を求めて涙になるのだそうです。
涙もろいのは病気?性格が原因なの?
病気によって涙もろくなることはあっても、涙もろいから病気であるということはありません。
例えば外敵要因であれば現代社会人を涙もろくさせている原因として最も挙げられるのは「ドライアイ」です。
パソコンやスマートフォンを直視する時間が増え瞬きが極端に減った場合、目は常に乾いた状態で酷使されています。
ですのでちょっとした刺激、それこそ空気や小さな風にも反応して涙が溢れます。
心的要因を性格のせいだと結び付けてしまう人がいますが、これはうつ症状や、病によって気が弱っている人がどこかに原因を求めて救われたいと思うためです。
原因が分かれば、たとえそれが解決しようの無いことでも、責める的が出来ることで一時的に安心を得ることが出来ます。
なんの解決にもなりませんが、病んでしまった人に「どうにもならないのだから」といってしまう方が酷です。
泣いて感情の触れ幅が落ち着くなら、そういう人は涙もろくてよいのです。
体の害、ストレスを吐き出したり開放することがその人にとって必要だからです。
性格が陰鬱だから涙がでるのではありません。
すこしだけ感情の触れ幅が大きく、すこしだけ人より感じやすいだけなのです。
涙もろいのを治したい!
外的要因、ドライアイなどを懸念される場合はまずはお医者さんへの受診をお勧めします。
目が乾いているのなら潤せばいい!と単純に市販の目薬でことを済まそうとするのは、かえってドライアイをひどくする可能性があります。
素人判断で安易な行動を起こすのは止めましょう。
それ以外の心的要因、ないしもとよりの性格だと思う人は、まず自分が何に対して涙を流すのか考えましょう。
外部情報、ドラマや映画、マンガや小説、物語を見て涙を流してしまうのは感情の開放です。
遮ってしまうことがストレスになってしまうなら、諦めて開放してしまうのが良いでしょう。
楽しいや嬉しいから程遠い深刻な悩みをめぐらせて、何をどうしても泣くことしか出来ない人は、すこし自分を責めるのを止めてカウンセリングを受けましょう。
カウンセリングをうけるあなたがダメな人間なわけじゃありません。
現代人はカウンセリングを受けると必ず1個や2個、精神的な病をわずらってると病名をつけられます。
1人でどうにもならないなら、人に頼ることを覚えましょう。
その1歩が難しいのは重々承知ですが、その勇気で変わる世界もあります。
生物は排泄することによって「気持ちがいい」と感じるように出来ています。
涙を流すことでスッキリした気持ちになるのは涙が排泄する行為に相当するからです。
年をとるに連れて涙もろくなるのは、経験を積み重ねたことによりあらゆることに自分が同調、共感するほど器が大きくなった証。
我慢してしまうより、涙もろいのを治してしまうより、自分に正直であるほうが健康的であり、魅力的な人間ですよ。